17/01/24
修羅場っていうか、母と姉が取り合った男が私の担任だった。
昔のことなんだけど諸事情あって悩んでいるので投下しに来た。
長文でグダグダ、なおかつ文才ナイナイだが、お付き合いいただけたら幸い。

母親はデキ婚を狙って失敗するたびに種違いの子供を産んだ人物。
私たちは結婚歴のない母が産んだ種違いの三姉妹。私は次女。

母はとにかく恋多き女性で、結婚願望が強いくせに男を見る眼がまったくなく、
連れてくる男はヒモ男や妻帯者ばかりだった。
狭いワンルームのアパートで暮らしていたから、玄関を開けたら
見知らぬ男性と母がアンアンしている光景に出くわした回数は覚えてもいない。

そんな母を見て育ったせいか、私の価値観は小学校の半ばには冷めていた。
私とは反対にヒステリックになっていったのが姉。

罵り合う母と姉を見るたびに

「またやってるよ」

と呆れ、極力関わらないようにしていた。

今思うと感情的になっていた姉のほうがよほど人間味があったと思う。
このころはまだ妹は生まれていなかった。

成長するにつれて姉は反発していた母に内面が似てきて、
中学に入るころにはエン交に手を染めるようになっていた。
母と姉が頻繁に起こす恋愛トラブルをいかに実害を受けずに
躱すかが当時の私の悩みといえば悩みだった。
何せ二人ともご近所中から****と後ろ指をさされていたから。

姉妹仲はそれほど悪くはなかった。毎日の家事を姉妹で分担してやっていたし、
ヒステリーと恋愛体質だってことを除けばいい姉だったと思う。
典型的喪女になりつつあった私が心配だったのか、姉はよく私に
服を買ってくれた。学校でも孤立しているのではと心配し、
あれこれ悩みがあるのなら聞くよ?と言ってくれもした。
ただ、当時の私は姉が買ってくれた服に袖を通すことはなかった。
姉が何をして洋服代を手に入れたのかわかっていたから。
今にして思えばトラブル回避ばかり考えていないで姉を諫めればよかったと思う。



前振りが長くなってごめん。
タイトルの発端。

高校1年の夏休みに姉を乗せた担任の車がホテルに入っていくのを目撃。
姉は高卒後はフリーターだったし、母と姉の恋愛トラブルに巻き込まれるのが
嫌だったので特にリアクションを起こさず見なかったことにした。

担任と付き合いはじめて、姉は男友達や派手な生活を改め
料理教室に通いはじめ、化粧もナチュラルメイクに変わっていった。
姉を母同様の男狂いかと認識していた私だったが、姉の変化を見ているうちに
口こそ挟まなかったけれどこのまま落ち着けばいいと思うようになった。

冬休みに入る少し前、件の修羅場が勃発。
休みの日にたまたま姉と映画を観に行った帰り、
アパートに戻って玄関を開けたら……(以下略)

見慣れたアンアンの光景だったが、母が跨って腰を振っていた相手はどう見ても私の担任。
あんまりな光景に姉が発狂。
手当たり次第に物を投げつけヒステリックに喚いていた。

あまり口が達者ではない私には姉を落ち着かせるのは難しく、
そそくさと服を着た担任と全裸のまま勝ち誇った顔をしていた母の様子から、
姉と担任が付き合っていると承知で、事に及んだと確信した。

「私のお腹には先生の子供がいるんだから」

事実、母は姉に向かってそう言った。これが三度目のデキ婚狙いで生まれた妹。

彼氏に二股をかけられたら誰だって発狂するだろうけど、相手はよりによって実の母親。
落ち着いて話ができる雰囲気ではなく、金切り声をあげて叫ぶ姉と
つられてヒートアップした母が取っ組み合いの喧嘩になり、
止めに入った私の顔に母の投げた時計がヒット。打撲と瞼の上を三針縫うケガをした。
瞼の上って切ると血がすごい。

母と姉の間でうろたえるばかりの担任はアテにならず、自分で救急車を
呼ぼうとしたら担任が慌てて止めてきた。たぶん、公になることを恐れたのだろう。
仕方ないから自分でタオルで顔を押さえて病院に行った。
幸い瞼の上を切っただけで眼球は無事だったけど、しばらく左目と
その周辺が腫れてお岩になった。熱が出るからと
痛み止めといっしょに解熱剤のようなものを処方してもらった。

私が処置を受けている間に姉が病院に来ていた。
処置室の前で待っている間過呼吸を起こすほど泣いたらしく、
化粧が剥がれてお化けになっていた。私の顔を見て姉はさらに号泣。
私は痣と傷をガーゼで覆って、目に血が入ったから眼帯もしている
ズタボロ状態でどうにか姉を泣き止ませようと四苦八苦した。
内心はややこしくなった現状をどうしていいかわからずに途方に暮れていた。

母から聞いたのか、私の携帯に知らないアドレスからメールが来ていて、

「今日のことは学校には黙っているんだぞ」

と書かれていた。

「ムリです、即学校に通報します。教育委員会のほうがいいですか?」

って返信すると、母から鬼電。

おそらく、結婚を餌に娘の説得を任されたんだと思う。

母からの電話に出ずに、泣き止まない姉に

「学校にこのことを通報するけどいいよね?」

と言うと、姉はこの期に及んで担任の心配をしたので
屑男に貢いでは捨てられてきた母にそっくりだと思った。

「教え子の母親と姉を二股にかけるような男にまだ未練があるの?」

って聞くと噴火の勢いで泣いてなぜか看護師さんに私が怒られる羽目に。

担任は私の母と姉だと知ったうえで二股をかけていた。
本人に聞くまでもなく、私が通っていた高校は姉の母校で、
姉のクラブの顧問だった。入学した当時、姉に似た私を

「姉子さんという身内はいるかな?」

と聞いてきたの担任だ。家庭訪問で家にも来ているし。

いまだに担任の心境がわからないんだけど、スリルを味わっていたのか、
母と娘同時に愛されちゃってる俺スゲーに酔っていたのか、どちらにせよ最低には変わらない。

確かその日は追試日だった。学校に連絡して一連を報告すると、
すぐに校長先生から折り返し電話が掛かってきて、
再度こと細かく事情を説明することになった。

校長は病院まで私を迎えに来てくれて、姉ごと校長先生(女性)宅にご厄介になった。
それからは騒動になった。当たり前だけど担任は首。
すぐに冬休みに入ったこともあってそれ以来担任にはあっていない。

今度こそ幸せな結婚生活が送れると母子手帳を手に
勝ち誇っていた母の計画は崩れ、後日種違いの妹が増えた。
結婚を壊した私が憎かったのか、顔を合わせるたびに暴力がくるので
家に戻れず、頼れる親類が他にいなかったため、
卒業まで校長先生のところにご厄介になっていた。
姉もしばらく私と一緒に校長先生の家に住まわせてもらっていたけど
妹が生まれたころに寮付きの仕事を見つけてきて自立した。

校長先生がいなかったら私も姉もどうなっていたかわからない。
あの母以外のおとなの女性に今まで縁がなかったから、
まともな大人の女性の生き方や価値観に目から鱗が出る毎日だった。

姉は一度男で失敗したあと、このままでは母と同じような人生になると出家した。
尼さんになって今は尼寺にいる。

私は成人したあと、母の元にいた妹を引き取った。
私や姉のような子供時代を過ごさせるのは忍びなかったのと、
恋愛に興味を持てずどうせ結婚の予定もアテもないから。彼氏がいたこともない。
私のように歪になったり、母や昔の姉のように男性依存になったりせず、
まっとうに育ってくれたらいいと思っている。

母がどうしているのかは知らない。


長くてごめん。今年中学生になる妹は母のごラン交ぶりや
出生の修羅場を知らないので、いつどこまで本当のことを話していいのかわからず書き込んだ。
言わずにいたほうがいいような気もしているけど、今後年を取った母が
何かしてこないとも限らないし、あのころは知らなかったけど
姉にエン交を進めていたのが母だったこともあって警戒している。


737 :名無しさん@おーぷん ID:4Kl
今までにあった修羅場を語れ【その19】