1:世界@名無史さん:2012/09/16(日) 13:18:06.35 ID:0
まことしやかに事実として語られているが、実は出所が小説でした、みたいな。
出典を調べても史料に行き当たらず、後世どこからか涌いて出たようなエピソードって結構あるよね。
510px-Jacques-Louis_David_007


2: 世界@名無史さん:2012/09/16(日) 13:39:05.46 ID:O
ワシントンの桜の木のエピソードとか?
ワシントンを崇拝する動きが、伝記での逸話の創造に繋がった。
子供のとき桜の木を切ったことを父親に正直に話したら、かえって誉められたという挿話
(ワシントンの斧 - George Washington's axe) が流布しているが、
これはワシントンの死後にマウントバーノン教区のパーソン(牧師)、メーソン・ロック・ウィームズが
子供向けに書いた『逸話で綴るワシントンの生涯』の中で、「嘘をついてはいけない」という
教訓のために書いた作り話であるとも言われているが真偽は明らかでない。

通説ではワシントンが子供の頃、つまり1745年前後にはアメリカ大陸には桜の木はなかったとされている。
(ただし、原文は"English cherry-tree"。)この話は初版から第四版まで掲載されず、1806年の第五版から掲載された。
ウィームズはまたワシントンがバレーフォージの近くの森で祈りを続けたという話も創り上げた。
ウィームズの経歴も「マウントバーノン教区」なるものは存在せず、事実であったかどうか疑わしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/「桜の樹」の伝説



3:
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 14:05:02.11 ID:0
パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない発言とか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/ケーキを食べればいいじゃない




4:
世界@名無史さん:2012/09/16(日) 20:05:08.53 ID:O
ルソー自体は自然に帰れとは言ってないと聞いた

あとナポレオンが孫子を読んでたっていうのも俗説と聞いたな



8:
世界@名無史さん:2012/09/17(月) 11:11:52.67 ID:0
ケネディ大統領が上杉鷹山を尊敬していたって話は、
誰がどういう動機で広めたか、今でも謎だよね?
上杉鷹山をケネディが尊敬する政治家として挙げた話しの真偽
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n4963



9:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/09/17(月) 14:08:10.19 ID:0
・オスマン帝国によるウィーン包囲の後、オスマン軍が残したコーヒーが西欧に伝わった。
・その際、戦勝を祝って三日月形のパン(クロワッサン)が焼かれた。
・ジョゼフィーヌの従姉がオスマン母后であったせいで、離婚後ナポレオンが孤立した。
・アレキサンドリア図書館の蔵書を焼いたのは、エジプトの征服者アムル。
・アインシュタインが日本の存在を神に感謝とすると発言した。




11:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/09/17(月) 18:53:06.81 ID:0
火縄銃の底をふさぐ雌螺子は、刃のかけた刀を大根に突き刺して穴を開ける
ことをヒントに創作された。



12:
世界@名無史さん:2012/09/17(月) 20:59:17.49 ID:0
大航海時代、胡椒が同量の金の価値だったって話は誰が言いだしっぺなんだろうな・・・

肉の保存や臭み消しとしてヨーロッパでは非常に重宝されたって話とセットだが

「金と同価値の保存料」を使う肉ってのは、当然、金以上の価値があったのだろうな。




14:
世界@名無史さん:2012/09/17(月) 21:42:14.88 ID:0
最近のネット情報だと、金1gが4300~4600円前後、
コショウ1kgが1600円とかといった具合のようだね。
もちろん、コショウの方は量で小売価格が全く違う(100g700円なんてのもある)
からなんとも言えないが、金1gがコショウ700g~3kg前後といったところかな?



17:
世界@名無史さん:2012/09/17(月) 22:21:21.36 ID:0
胡椒と金の話については、大航海時代関係のスレで時々出てくる話題だ。

大航海時代
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1290595317/l50

 704 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 23:04:27.50 0
 金と同じってのは、胡椒じゃなくてクローブじゃなかったっけ?

 706 :世界@名無史さん:2011/11/19(土) 11:58:23.79 0
 胡椒が金と等価交換って話、日本語版のウィキペディアにも書かれてる・・・
 http://ja.wikipedia.org/wiki/コショウ

 713 :世界@名無史さん:2011/11/24(木) 23:12:36.75 0
 >>706
 英語版にはないみたい

 714 :世界@名無史さん:2011/11/26(土) 20:29:05.49 0
 >>713
 たとえば「大航海時代とルネサンス」というサイトに引用されている大航海時代叢書の記述によると
 「1499年ヴェネツィアで1キンタル(46キログラム)の胡椒は80ドゥカード」とある。
 http://www.geocities.jp/yamada_1817/oversea/se/se_1490/1498_p.html

 ドゥカート金貨は重さ約3.5グラムでほとんど純金なので
 胡椒46000グラム≒金280グラムとなり、
 同重量の胡椒は金の約160分の1価値ってことになる

 特定の国と時代で胡椒の価格が2倍とか3倍とか暴騰することはあったかもしれないが、
 とても金と等価まではいかないだろう。

以下続く



21:
世界@名無史さん:2012/09/17(月) 23:32:49.03 ID:0
>>17
重量ベースで100分の1の価値もないのか・・・考えてみりゃ
胡椒何キロの相場が金貨何枚だったって資料が無いと、金と胡椒が
同価値なんて話、信憑性が無いな。でも探しても出てこなそう。



22:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/09/18(火) 19:01:29.13 ID:0
・カトリーヌ・ド・メディシスがフランスにフォークを伝えた。
・ノストラダムスは、ペスト対策に鼠退治や消毒などの先進的な医療を持ち込んだ。
・ギロチンを発明したのはギヨタンであり、彼自身も後にギロチンで処刑された。
・馬鹿の語源は秦の趙高の故事であり、阿呆の語源は阿房宮である。
・日本で最初にラーメンを食べたのは徳川光圀である。
・東郷平八郎が、ビーフシチューを作らせようとして生まれたのが肉じゃがである。
・ヨーダのモデルは日本人の依田さんである。
・アンパンマンOPの歌詞は、特攻隊員であった作者の弟を意識したもの。

俗説というか、古い説
・「百合若大臣」伝説は、西洋の「ユリシーズ」伝説が伝わったもの(坪内逍遥説)。
・ギリシャのパルテノン神殿の柱のエンタシスが、法隆寺の柱の原型(伊東忠太説)。
・「厩戸」皇子の名は、ネストリウス派キリスト教の影響を受けたもの(久米邦武説)。

疑いあるもの
・仏教公伝は、538年のことである。



23:
世界@名無史さん:2012/09/18(火) 22:01:27.36 ID:0
厩戸はずっと「そんな説もあるけど、真相はよくワカラン」
みたいな状態だと思ってたけど違うの?



35:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/09/22(土) 08:34:09.33 ID:0
>>23
エンタシスの件といい、井上章一先生の御本でも否定的見解が提示されてい
たと思いますが、当時こうした説が出されていたことには、時代背景が影響していた面もあります。

西洋と日本に前近代から類似・関連性があったという説が流行しており、
騎士と武士、プロテスタントの「鎌倉新仏教」の類似などもその内。
今では、厩戸皇子の話も元々東アジアにあった伝承・習慣で説明がつくであ
ろうと考えられており、「鎌倉新仏教」の勢力も実際には旧仏教に対抗・凌
駕しうるものではなく、「旧仏教」も以前から庶民教化の道筋をつけていたと考えられています。

旧仏教・新仏教の対立は、戦後の「支配者の道具の宗教が、
民衆救済の宗教に凌駕され、衰退した」という、
左寄りの史観から見ても都合がよかったため、実証より先に支持された面があります。



38:
世界@名無史さん:2012/09/22(土) 16:26:02.25 ID:0
>>35
古墳からローマで作られたガラス玉出てたよね。
仏教伝来の頃にはヨーロッパの情報も入ってきても不思議はないと思うんだ。



40:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/09/23(日) 15:34:48.10 ID:0
>>38
可能性であれば。ただ、実証性は元々薄い説です。
当時だからこそ意味があり、提唱が許されたものですから。

・ルーマニアはローマの末裔なので言語がラテン系。
 嘘というわけではないが、近代になってそれまで使用されていたキリル文
 字をラテン文字に戻し、スラヴ系の語彙を排除するという人工的な改変が
 行われて“純化”が進んだ結果。
 古代を志向し、中世の変化を否定する近代という時代にこの手の純化政策
 が行われることは、日本も含めて珍しくありませんが。

・白木屋で昭和7年に起きたデパート火災で、腰巻だと下半身が露出すると
 いうので飛び降りをためらった女性の死者が多く、女性の洋装化を推進す
 るきっかけとなった。
白木や
ロープを伝って脱出している真下には大勢の野次馬がいた。当時の女性は和服で長襦袢のためにズロース(パンツ)は穿いていない。一般的に女性がズロースを着けるようになったのは終戦後のことであり、当時は和装の女性が下着を着用することはなかった。命が掛かっていても、女性の恥じらいを重んじた女性店員達はロープから手を離してまでも裾を押さえた。この火災の報道は写真も含めて世界中に配信され、特に欧米諸国では女性の恥じらいを重んじて死んでいった女性店員への同情と涙を誘った。その後、白木屋は女性店員にはズロースを穿くことを義務付け、翌年には和服から洋装を奨励した
http://ja.wikipedia.org/wiki/白木屋 (デパート)



33:
世界@名無史さん:2012/09/21(金) 22:40:18.46 ID:0
クレオパトラが絶世の美女ってことになったのはいつ?
ルソーの生きていたころよりは前だよね?



35:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/09/22(土) 08:34:09.33 ID:0
>>33
小野小町も、少なくとも鎌倉時代までは風流心のある歌人としての評価でしたが、
古の衣通姫と「歌の傾向が」似ているというので、美人扱いされるようになったようですね。



47:
世界@名無史さん:2012/09/25(火) 13:41:31.67 ID:0
有名な敵に天然痘の毛布を贈る。
出典と根拠は何だろ?



48:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/09/25(火) 20:57:58.31 ID:0
白人が北米原住民にその手の毛布を贈ったとか、
カテリーナ・スフォルツァが教皇に送った手紙がペスト患者の
死体の上に置かれたものだったとかいう話を思い出しますね。



50:
世界@名無史さん:2012/09/26(水) 00:35:11.96 ID:0
物を送る話だろ、上杉謙信が武田信玄に塩を送るって逸話がある
でもそんな一次資料がどっこにもないの
こんなのはどう?



53:
世界@名無史さん:2012/09/26(水) 22:58:33.42 ID:0
イギリスの支配を認めないアメリカ先住民によってポンティアック戦争がはじまった1763年、
天然痘入り毛布をインディアンに渡す計画について、イギリス軍司令官ヘンリー・アマーストが
承認を与えたとことが、部下との書簡のやり取りで明らかになっている。
http://www.nativeweb.org/pages/legal/amherst/lord_jeff.html
よってこれは俗説ではなく歴史的事実なので、このスレの対象外だろう。



59:
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 00:52:21.80 ID:0
>>53
天然痘ウイルス発見より先の18世紀に天然痘を兵器として利用するなんて天才だなw
コッホの細菌発見よりずっと古い。
毛布になにが入っているのかすら当時のイギリス軍は知らなかっただろ。



54:
世界@名無史さん:2012/09/26(水) 23:00:15.54 ID:0
まちがったごめん。この件の責任者であるイギリスの司令官はジェフリー・アマーストね。



62:
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 22:56:20.93 ID:0
ヨーロッパの人口が増えたのは、ジャガイモのおかげ。



63:
世界@名無史さん:2012/09/29(土) 00:19:21.18 ID:0
ジャガイモのおかげもある。
それがすべてではないが。



64:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 00:59:07.71 ID:0
ジャガイモが普及する前から人口が増加しているが無視。
ジャガイモが普及している地域と普及が進まない地域でむらがあるが、
普及している地域だけが増加しているわけでもない。



66:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 08:21:19.84 ID:0
日本だってさつまいもだけで人口が増えたわけではない(新田開発とか)が
さつまいもは確実に人口増に貢献している。



67:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 17:41:21.48 ID:0
>>66のサツマイモの喩えは却って問題を混乱させます
サツマイモが日本に導入されたのは江戸時代ですが
江戸時代は日本人口の停滞期です



69:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 19:01:42.38 ID:0
>>67
江戸の初期と後期で2倍になってる。



71:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 19:48:04.41 ID:0
>>69
ではもう少し詳しく見てみようか。
サツマイモが日本国内で奨励され普及しだしたのは江戸時代中期、
享保の改革(1716年~1745年)頃からだが(青木昆陽が『蕃藷考』を著したのが1735年)、
そのごろの日本の人口推移を幕府の人口調査で見ると次のような感じだ。
享保年間以降、人口は横ばいどころか減ってさえいるのがわかる。

1721年 26,065,425
1750年 25,917,830
1780年 26,010,600
1804年 25,621,957
(出典Wikipedia)

実際には人口の増減にかかわるパラメータはゴマンとあるから、
イモだけに着目して人口との因果関係を
論じることは不可能。安易にそうであるとかそうでないとか断言する方が俗説。



199:
世界@名無史さん:2012/10/24(水) 15:22:08.73 ID:0
>>71
こんなスレがあったのか

上の方でサツマイモ云々の話があるけど、江戸時代の人口に関して言えば、

薩摩藩(薩隅日三ヶ国のみ)の人口:
1636年:30万2021人
1706年:45万7806人
1772年:62万3627人
1871年:72万7634人

幕府掌握の領民人口の変遷
西海道:307万4829人(1721年)→346万8045人(1846年)
南海道:215万6379人(1721年)→256万5745人(1846年)
山陽道:265万7695人(1721年)→302万8359人(1846年)
山陰道:126万3340人(1721年)→148万7122人(1846年)
--------------------------------------------
陸奥:196万2839人(1726年)→160万3881人(1846年)
日本全国:2606万5425人(1726年)→2690万7625人(1846年)

日本全体で見ると人口変動はほとんどないけど、地域別には人口変動の格差があり、
少なくとも薩摩芋が広く栽培されていた西日本では人口増加が進んだ。

一方米に偏重気味の陸奥では宝暦・天明・天保の飢饉で大幅な人口減少。



94:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 22:57:49.97 ID:0
このあたりが公平な評価だろう。
http://blog.goo.ne.jp/murokuni/
サツマイモが飢饉を救った歴史事実を見直す



95:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 23:05:50.40 ID:0
>>94
> サツマイモにも欠点はある。寒冷地では育ちにくい。

寒冷地で育てるのは、ジャガイモだよね。
江戸時代の日本ではジャガイモは広まらなかったのかな。



98:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 23:19:09.17 ID:0
>>95
蝦夷地では育てていたみたいよ。
アイヌにはジャガイモ料理があるけど、もともと和人がジャガイモを持ち込んだらしい。



98:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 23:19:09.17 ID:0
>>94
サツマイモとジャガイモは結構違う植物だから、まとめて論じるのはどうかとも思うけど、
日本で言えば人口増にはそれほど関係なかったが、
飢饉などのアクシデントによる人口減をけっこう食い止めたって見当か。



97:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 23:16:18.25 ID:0
さつまいもが素晴らしいのは手がかからず荒れた土地でも作れることだよ。
つまり米の取り立てが厳しくても隠れて作れる。



101:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 23:35:09.78 ID:0
サツマイモは原産地が南米で、温帯や寒冷地には向かない作物だったんだよ
意外かも知れんが、だから日本で導入しようとしても青木昆陽とかも相当失敗した。
荒地とかの地力のない土地への適性は強いが気候的に寒いとダメなの。
日本の場合だと江戸時代とかは西日本では割とスムーズに普及したが
東日本ではほとんど導入がうまくいかなかった。

あと、世界に本格的にサツマイモが普及したのは
明治の中頃に日本でサツマイモの品種改良が成功して甘味が強い品種が獲れるようになってから。
それまでは旨味がないパサついたイモといった感じで救荒食物ではあるが農民に人気がなかったの。

だから『サツマイモが江戸時代を救った』とか言うのは過大評価です



102:
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 23:48:06.52 ID:0
前田利右衛門が薩摩にさつまいもを持ち込んだのは1705年と言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/前田利右衛門

これだけが原因ではないだろうが鹿児島の人口は
1706年の457806人から1772年の637787人へと急増している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/江戸時代の日本の人口統計



104:
世界@名無史さん:2012/10/01(月) 00:12:43.45 ID:0
鹿児島のシラス台地は稲作に向かずサツマイモ栽培には向いている、
日本全体から見れば特殊な条件にある。温暖な気候もサツマイモに適しており
普及が急速に進んだ。「薩摩」芋と呼ばれる所以。



111:
世界@名無史さん:2012/10/01(月) 01:08:26.07 ID:0
品種改良が成功するまでの薩摩芋は甘くなかったから(はっきり言って不味い食い物)
時代劇とかで焼き芋食って『美味い』とか言ってるようなのは間違い



125:
世界@名無史さん:2012/10/03(水) 11:11:36.28 ID:0
>>111 
九里四里うまいとかいう例の言い回しはいつできたんだろうな



129:
世界@名無史さん:2012/10/03(水) 22:04:06.77 ID:0
>>125
「九里四里~十三里」がキャッチコピーになったのは川越が
サツマイモの生産地になった寛政年間らすい。
出典:宝暦現来集



200:
世界@名無史さん:2012/10/24(水) 15:26:06.11 ID:0
ちなみに明治初期のサツマイモの栽培状況を見ると:
明治7年の府県物産表による甘藷の生産(府県別)
1億0052万6435貫 全国(鹿児島県、北海道、琉球藩を除く)
3203万1105貫 長崎県
1532万6219貫 白川県(=熊本県)
1304万9344貫 佐賀県
1117万1605貫 愛媛県
909万4549貫 宮崎県
736万9695貫 名東県(=徳島県+香川県+淡路)
677万5505貫 大分県
570万8413貫 広島県
※鹿児島県は西南戦争直前の独立国家状態なので明治7年の統計がない

明治11年の全国農産表による甘藷の生産(旧国郡別)
13億8101万5777斤 全国(北海道、琉球を除く)
2億3134万8144斤 肥前
1億4380万4652斤 薩摩
1億2847万7875斤 肥後
1億2395万8057斤 大隅
6917万9404斤 伊予
4354万4578斤 土佐
4033万3580斤 安芸
3888万7077斤 阿波
3425万0793斤 日向
3006万3765斤 豊後
2554万1438斤 備中
2109万6314斤 讃岐
1977万4625斤 備後
大体のところ江戸時代の人口増加地域と一致している。



209:
世界@名無史さん:2012/10/24(水) 20:22:35.32 ID:0
>>200
薩摩よりも肥前の方が多いのか… サツマイモの生産量<明治11年
すんげえ 意外だわ

勉強になる



112:
世界@名無史さん:2012/10/01(月) 02:27:26.02 ID:0
ローマの水道は鉛が使用されていたので鉛中毒になり滅んだ。
ローマ帝国では水道管に鉛が使われていたため、慢性的に鉛中毒者を発生させ滅亡の遠因になったという説があるが、現在では正規の学説としては取り扱われてはいない。主な理由は二つある。一つは、水道内部に分厚く沈着したカルシウム炭酸塩が鉛管の内側にも付着して、鉛と流水を効果的に隔離したこと。もう一つは、ローマ水道における鉛管部分はごくわずかであり(総延長のほとんどは石造だった)、また現代と違ってローマの水道には蛇口の栓というものがなく常時垂れ流しだったため、鉛の溶出が問題になるほど長時間に渡って水と鉛が接触することはなかったことである。

だが、古代ローマではサパと呼ばれる酢酸鉛を主成分とした甘味料が多く摂取されていたことから、鉛中毒が多く発生したと考えられている。なお、この時代からすでに鉱山などの事例により、鉛が健康被害をもたらすということは知られていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ローマ帝国における鉛中毒


113:
世界@名無史さん:2012/10/01(月) 03:36:33.09 ID:0
>>112
今の都市水道も最近まで鉛管ですよ。
鉛管を使ったのは少々の衝撃では破損しないから。



115:
世界@名無史さん:2012/10/01(月) 20:41:10.90 ID:0
ボストン茶会事件で海に放り込まれた茶葉は紅茶。
Boston_Tea_Party_Currier_colored
http://ja.wikipedia.org/wiki/ボストン茶会事件



116:
世界@名無史さん:2012/10/01(月) 23:33:45.19 ID:0
だってWikipediaにも紅茶って書いてあるぜ。まさか抹茶や煎茶じゃあるまい。



117:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/10/03(水) 00:09:02.94 ID:0
緑茶だったという話でしょう。
・クルトが「寫楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家」と評価した。
・万里の長城は宇宙からも肉眼で見える。



118:
世界@名無史さん:2012/10/03(水) 00:37:07.96 ID:0
アメリカにコーヒー党が多いのはボストン茶会事件のせい、というのも俗説。
紅茶は南洋の長期航海中に蒸れて偶然出来た、というのも俗説。

世界史はかなりの部分が俗説で出来ているなあ。



119:
世界@名無史さん:2012/10/03(水) 01:10:55.64 ID:0
こういう俗説って誰が考えてどうやって広まっていってるんだろうな
面白おかしくしようとするだけでなく、
勘違いや、世間体や時代や輸入先の国に合わせたなんてことも多いだろう
一番の戦犯は歴史小説家かな TVや教師なんかもそうだろうな

まあ古代からしてすでに俗説に溢れまくってるから、
物語化や有名人の手柄に書き換えたりするのは人類のサガなのだろうか



158:
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 22:07:48.04 ID:0
>>119
>物語化や有名人の手柄に書き換えたりするのは人類のサガなのだろうか

人間の脳というのは、事実をそのまま捉え、保持し、処理することができない構造になってるからね。
特に情報量が多くなってくると、デフォルメが必要になってくる。

情報の受け手にとって、デフォルメと自己投影に一番有効なのが物語化

あと、有名人というのは、実は歴史上の実在人物ではなくて、集合的人格(シンドバッドの例が有名)
である場合が多いからね。

小説書く場合でも、主要登場人物が増えるにつれ、読みにくいという読者が増える。



123:
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/10/03(水) 06:32:15.57 ID:0
タラス河畔の戦いで製紙法が伝播、というのもはっきりしないそうで。
サンドウィッチ伯爵がカードゲームの合間に云々も、政治家相手のゴシップ
で、話自体は当時から存在したものの、真偽不明だそうです。
パンにおかずを挟んで食べる行為自体は前からあった。



156:
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 20:19:35.33 ID:0
世界史の俗説ってなあに、
ちなみにマリー・アントワネットの台詞ではないにも拘らず
流布された。男爵夫人か誰かだったかな、本人はやっぱり
オーストラリアから嫁いできた嫁でどうでも民衆の恨みを買うように
出来ていた

俗説って皆嘘が多いのね
でも、俗説がほんとうだったらすごくない、逆にある意味
「荒野の一ドル銀貨」
はじめ、数多のガンマンに一人で立ち向かっていく保安官

砂塵の砂煙、ひとり、ふたり、ガンマンが消えていく
そこでひとり敢然とひるむことなく立ち尽くすヒーロー
ぜったいに俗説と思うだろ
これは史実なの、逆にすごいよね
で、誰って。ワイアット・アープっていう人



159:
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 23:04:04.44 ID:0
>>156
ググったらワイアット・アープが昭和まで生きていた事に驚いた

西部開拓時代と二十世紀のアメリカ繁栄を両方体験したんだな
日本で言えば、幕末と新幹線を両方見た様なもんか



161:
世界@名無史さん:2012/10/08(月) 08:49:38.31 ID:0
OK牧場の決闘って映画やドラマでは牧場内を走り回って長時間撃ち合ってるけど
実際は双方が鉢合わせ状態で一瞬で決着がついたとか。



173:
世界@名無史さん:2012/10/15(月) 10:27:46.47 ID:0
世界史というのは少し違うが、
フォークの背にライスを乗せて食べるのは間違い

という説明。
鬼の首を取ったように、海外ではそんなことをしないと得意顔で語っている
テレビとか雑誌の記事を見ると、アホかと。



174:
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 15:27:17.77 ID:0
俺はひところフォークの背にライスを乗っけて食っていた
作法としてどうなのとその頃あんまり思わなかった

今はさ、多少勉強つうの、土台スプーン、フォーク文明は19世紀位でないの
だから文化へちまないんだよ、ブルボン王朝華やかなりし其処だって手つかみで
王侯貴族が食っていた、それほどにだから気にせず、ご飯を食う時はフォークを
右に持って箸感覚であやつっている



176:
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 21:17:32.57 ID:0
>手つかみで
これも結構怪しい。ルイ14世が手づかみで肉をかぶりついていたという話からで、
王侯貴族の普通の作法なら、いちいち驚いて記録しなくても良い。
ルイ14世以外の例がない。
出典も不明。
なのに何故か非常に有名。



177:
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 23:24:01.19 ID:0
つうかさ、アレキサンドル・デュマに度々、食らうシーンが
出てきてたな、直接かぶりついていたよ、あれね、すっげえ大長編なの
だから幾度となく食うところは出ていたはずだ



179:
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 21:24:56.03 ID:0
>>177
小説w



181:
世界@名無史さん:2012/10/19(金) 19:07:51.69 ID:P
>>179
デュマの小説だけど当時の時事風俗がかなり反映されてて結構勉強になるよ。
モンテクリスト伯とかが面白くて為になる



180:
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 22:51:40.77 ID:0
そうだよ、でもさ、原作者は19世紀初頭だろ
こういうのって一次資料にぎりぎりかからねえ?
そのままの原典直訳だったし。
1冊がすっげえ分厚くてそれが10巻以上あったよ
第1巻目がね、友を選ばば3銃士だったかな
よく砦とかで飯食っていたよ



201:
世界@名無史さん:2012/10/24(水) 15:42:30.13 ID:0
>>180
デュマのダルタニャン物語は、設定部分にどこぞの高校教諭が
ゴーストライターとして関わっているけど、
三銃士の頃はまだ時代考証がこなれていなくて嘘が多いって
鹿島茂の本に書いてあった。

さすがにモンテクリスト伯の方は時代が被っているけど



266:
世界@名無史さん:2012/11/07(水) 21:25:38.62 ID:0
レオナルド・ダ・ヴィンチは万能の天才で、絵画のほかにも、
彫刻・建築・兵器・天文・錬金術・数学・土木・解剖学にも優れていた。
ヘリコプターも戦車も発明した世紀の天才。いや人類史上最高の天才だったw
しかも世界最高の美男子だったらしいw

408px-Da_Vinci_Studies_of_Embryos_Luc_Viatour
ヘリ1
Leonardo_da_Vinci_(1452-1519)_-_The_Last_Supper_(1495-1498)
絵画、彫刻、建築、土木、人体、その他の科学技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残している。
『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は盛期ルネサンスを代表する作品になっている。
膨大な手稿を残しており、その中には当時としては珍しい航空についての考察も含まれていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/レオナルド・ダ・ヴィンチ


転載元:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1347769086/