679: 名無しさん@おーぷん 2014/10/22(水)15:37:14 ID:???
祖父が餓シしたと聞いたときが衝撃だった。

祖父母はしょっちゅう怒鳴りあってたけど、年に何度か車で旅行するようなツンデレ仲良し。
美味しそうなご当地ご飯や景色を求めて全国どこでも行った。
祖父が糖尿で目が見えなくなり大好きな運転が出来なくなると本当に落ち込んでいた。
すると、60過ぎた祖母が教習所通いを始め、運転をマスター。
運転手が使えないから仕方ねえって言ってたけど、祖母が運転する時は必ず祖父が助手席。
「下手くそだ、目が見えなくても俺のほうがマシだ!」と文句を言っていたけど、
出かける時は、いつも念入りに髪をオールバックに整え、
お気に入りの帽子を被って鼻歌を歌っていた。

何年かしてお盆の時期に祖母が亡くなった。


親戚みんな揃っている時期に亡くなるなんて、
賑やかなことが好きで行事が面倒くさがりな祖母らしいねってみんな言っていた。

祖父は大声をあげて泣いていた。
慟哭といえばいいのか、こんなに悲しく辛そうに泣く人を後にも先にも見たことがない。
次の日になると、「ババァ俺の介護が嫌になって先にシにやがった」と
葬儀中に悪態をつくいつもの祖父だった。

それから11ヶ月後、祖父が「夢にばぁさんが出て来た。新しい家建て終わったよ。
来たかったらくれば?って言ってた。ばぁさんが車で迎えに来る」
そう言って、食事を拒否するようになった。
なんとか説得しても頑固で聞かないし、病院も行かない。
点滴も目を離すと抜いてしまう。そうして、祖母の命日の2日前に亡くなった。

祖母の初盆のために集まっていた人たちは、そのまま祖父の葬儀と祖母の初盆を
まとめて参加することになった。お坊さんも使い回しと言ったら変だけど、そんな感じに。
さすが、ばあちゃん段取り良過ぎるとみんなで笑いながら泣いた。
祖母が生前良く言っていたことをみんな思い出していた
「あの老いぼれ爺が先にシんだら私は長生きできるだろうねー。
ちゃっちゃと大喜びで葬式しちゃうよ」って。
祖父の部屋から祖母の遺書?手紙が見つかった。
「私の三回忌ぐらいで湿っぽいのは終わらせること。遺骨は適当に撒いて欲しい。
海なら海外旅行もできるし、とても宜しい。
爺さんも撒けば、大好きな釣りでお世話になった魚たちのカルシウムにでもなるだろう」と
書いてあった。

なんだか祖父母に会いたくなったので、書き込ませていただきました。

680: 名無しさん@おーぷん 2014/10/22(水)17:53:29 ID:???
>なんだか祖父母に会いたくなったので

待てはやまるな

冗談はともかく、素敵な人生の〆方ですね
なかなかこうはいかないだろうけど、自分もうまく逝きたいw

683: 名無しさん@おーぷん 2014/10/23(木)01:41:33 ID:???
祖父母を思い出してしんみりしてた者です。
ひ孫見せたかったなーって、ふと思って、会いたくなってしまいました。

補足ですが、餓シだと大袈裟でしたね、簡単に言うと栄養失調ですね。
意志の強いじぃさんでした。
最期は元々、筋肉質だった見た目もそれほど変わらず徐々に衰弱というのでもなかったです。
前日の夜、「風呂に入る。背中流してくれ」と叔父に頼みました。
目が見えなくても、出来るだけ自分でしていた祖父が背中を流すように、
頼むのは初めてのことだったそうです。
明日は早起きして出かけたいからと、寝巻きではなく
シャツにスラックス姿で枕元に帽子を置いて眠り、目を覚ましませんでした。

家族みんな、悲しいよりもやっと祖母に会いに行けるんだとホッとしました。
自慢の祖父母なんですけどね、あまり人に言える話でもないので。

684: 名無しさん@おーぷん 2014/10/23(木)06:16:37 ID:???
自分で禊もし、旅姿に着替えて逝かれたのですか
凄い気概のお祖父様だったんですね
こう言ってはなんですが、羨ましい旅立ち方だと思いました
きっと今はお祖母様と仲良く過ごされてるんでしょうね






引用元: 今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験