海外の反応 


スレ主

大和は日本が、第2次世界大戦時に建造した、歴史上最大の戦艦であり最後の戦艦です。

その姉妹艦は武蔵と信濃があります。弩級戦艦3番艦信濃は、建造に必要な人材及び、作業空間の不足、そして予算不足により、戦艦から空母に設計変更しました。

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それでは本論に移って大和のスペックは

45口径46cm 3連装砲3基

60口径15.5cm 3連装砲4基

40口径12.7cm連装高角砲6基

25mのm 3の連装機銃8基

13mm連装機銃2基

カタパルト2基
0式水上偵察機、0式水上観測機など最大7機の武装をしていた。



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しかし、戦闘はあまり参加していなかった。

1944年10月、レイテ沖海戦で米軍の護衛空母と駆逐艦への発砲にとどまり、この戦闘が敵と交戦した最初で最後になりました。

大和は、日本が坊ノ岬沖海戦で敢行した自殺攻撃である海上特攻隊作戦で、魚雷9発と米軍の艦載機約117機に多数の爆弾を受け、弾薬庫が爆発し、撃沈されました。

建造するのに途方もない予算がつぎ込まれたのに、戦闘にはあまり参加できず撃沈されているのを見ると、ただお金を浪費したのではないかと思います。

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 韓国の反応 



・日本人は、お腹空いてすっかり善良になったね



・大和ホテルwww



第1次大戦以降は、大艦巨砲主義と無知な巨砲をたくさんつけて、排水量を高めるのが海軍トレンドだった。戦艦大和は、その勢いに沿って宣伝用に広げて作られたもの。

近代30年代以降、空母という艦船が出現し、海戦のパラダイムシフトを起こった。結局、図体だけ大きい古鉄の塊になってしまう



・せっかく強く作ったのに、動けなくて沈むなんて



・制空権が奪われれば、大きな標的に成ってしまうだけ



・信濃の写真は、側面写真1枚だけ残っている。それさえも信濃と推測されるだけで確かではない



この写真はアメリカ空母の写真だろ



活躍するためには基本的に制空の掌握もしなきゃいけないし、大和がそろそろ活躍しようとする時には、空母は皆沈められて補給も尽きて居た



・第二次世界大戦の時代は、戦艦の時代は終わっていて、空母の時代と成って居た



日本軍でも、空母船団を作って、艦載機を乗せる事に力を注いだ人も居たが、大艦巨砲主義思想で、戦艦重視の戦略を考える人が多かったので、敗戦は必然的なもの



・「男たちの大和」という、戦艦大和が出て来る映画を見た事があったのだけど、それはもう戦争映画ではなく、災難映画だった



・大和のスペックはまさに世界最強だったし、船体の大きさと当時、日本海軍の技術の粋を集めた物だったが、ミドウェイでは港でホテル替わりに成って居た



・戦艦大和を動かす燃料があったら、他の軍艦10隻を動かせた



・知名度では世界最高の戦艦ですが、本当に活躍していませんね



・大和は、アニメやゲームでしか使い道が無い



・大和が艦隊戦のために太平洋戦争のスタートを切った時は、すでに米国は空母量産体制に入った状態であり、ガダルカナルで日本艦隊のゲリラ化した後は、空中支援も受けられずに目立った標的に他ならなかった。太平洋戦争は空母戦だったと言っても過言で来ない、すでに戦艦自体が活躍出来なかった

引用元記事:https://bit.ly/2S0Mo7l

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